福岡工業大学附属城東高等学校吹奏楽部 第39回 定期演奏会

実は城東の定演は初体験。七夕コンサートや三校合同演奏会は毎年行ってるのだが、平日で開演時刻が早め設定の定演は一般社会人には難しいので毎年スルー。しかし三出休み明けで惜しくも全国出場ならなかった今年の城東の演奏は、無理を押してでも聞きに行きたかったのである。

というわけで平日なのに18時半開演とかバカか!と涙目になりつつダッシュで到着したら、平日なのにほぼ満席。空席を探す客に「早く座ってくれないと演奏できません!」と司会が注意してたけどやかましいわ!場内係員は席を詰めさせるとか誘導してやるとか気を利かせろよ。ナウでヤングな客ならともかく、孫を見に来たジジババみたいな年寄り連中が客電が落ちた薄暗いホール内をウロウロしているのは目障り非常に危なっかしくて心配でございますよ。

プログラムは以下。終演が21時ちょい前くらいだった。

【1stステージ】

  • 友愛と賛歌のファンファーレ(J.ボコック)
  • マーチ「青空と太陽」
  • 組曲展覧会の絵」より(ムソルグスキー/石津谷治法)
  • 喜歌劇「微笑みの国」セレクション(F.レハール/鈴木英史)
  • オセロ(A.リード)※1-2年のみ
  • マードックからの最後の手紙(樽屋雅徳)

【2ndステージ】

【アンコール】

  • おてもやん
  • もう一曲(曲名わからん)

1stステージは硬めの曲。自由曲「展覧会の絵」のTpは堂々とした素晴らしいソロを披露。改めてコンクールのステージ上で受けるプレッシャーは大きく重いものであるとしみじみ感じた。たらればの話をしたところでどうしようもないのだが、1点差の次点だったらしいとか聞いちゃうとやっぱり惜しかったよなあと。

城東サウンドはボリュームレベルが真ん中〜Max設定のみで、Min〜真ん中までがないという印象。この点は前年度から感じていたのだが、三出休み年でコンクール定数以上の編成のせいかと思っていたら本当にこれが基本仕様なんで驚いた。まあ音がでかいだけという単純な爆音ではないのだが、金管が迫力ありすぎて木管の印象が薄いというか、木管の見せ場があっても本来持ってる繊細さとか精密さとか細やかさが表現しきれてないのではという感じがする。

たとえば「展覧会の絵」の「古城」はダブルリード部隊が寂寥感だとか幽玄さだとかの絶え入るような雰囲気を曲調・音質・楽譜・奏者の力量からも充分表現できるはずなのに、そういうのが伝わってこないんすよ。雰囲気がないというか、緊張感を持って聞かないといけないというpp的な場面がないというか。なのでクラシック曲の原曲が本来持っている繊細な部分を表現しきれてないような気がして違和感が残るんだよなあ。某掲示板で「城東はアレンジものやめてオリジナルものやれ」という意見があったけど、なんとなくわかる気がした。素人考えだと、現状に木管の繊細な表現を加えて木管Min〜金管Maxまでレンジをめいいっぱい広げれば多種多様な表現ができるんじゃないのかなあ、それを吹奏楽曲にはめ込むとビシッと決まるんじゃないのかなあと思うんだけど、そういう単純なものじゃないのかね。

1-2年だけで演奏した「オセロ」がスッキリしたスマートな仕上がりで1stステージのなかで一番いい感じに聞こえたのは、人数が少なかったからなのか、オリジナルものだったからなのか。かといってセレクションものや樽屋作品には、なんでこんな(演奏する側にとって)簡単すぎる曲やってんの?とかって感じちゃうわけで、まあ手前勝手な客の意見なんで適当に流しといてください。

と、いろいろ考えてしまった1stステージよりも2ndステージのほうが聞き応えがあったし単純に楽しめた。だって上手いし!トトロは例の神アレンジの曲で、もしおまえらがトトロを演奏したいならぜひこの曲を使いやがれというくらいおすすめ。情熱大陸のTpはキレはいいしハイトーンは軽々でるしの吹きまくりすぎで笑ってしまうくらいに上手い。金管がしっかりしているせいなのか、ビッグバンドっぽいアレンジやジャジー風味な曲がやたら似合うわけで「スクーティン・オン・ハードロック」はこの日の演奏の中でも出色の出来で、非常にクールでかっこいい仕上がり。というわけで2ndステージは、ここ何年かで聞いたいろんな高校の定演のポップス系ステージのなかでも一二を争う素晴らしさ。ダラダラした演出がなくスカッと硬派な進行も個人的に好感度高かった。

平日にこれだけ観客をよべるのなら、土日開催の複数回公演にしてくれてもいいのになあと思ったのだがどうなんでしょう。もっとたくさんの人たちに、特にヨレヨレ金管しか聞いたことのないようなへっぽこ中学生あたりに聞かせてやりたいなあと。開眼しちゃうぜ。